ネイティブには絶対になれないということ

母国語ではない言葉を覚えようとする限り、いわゆる「ネイティブスピーカー」にはなれません。「ネイティブ並」にその言語が上手になるということはあるかもしれませんが、本当のネイティブにはなれないのです。

それはある程度まで育ってしまった人であれば誰でも同じです。ずっと母国語を使ってきて、あるタイミングから違う言葉を覚えようとするのは難しいことであり、さらに脳神経的にもすでに母国語で成熟してしまっているためです。思考回路自体が母国語で成立してしまっているため、新しい言語を習得する際も母国語でまずは考え、理解してから他の言葉に置き換えるのです。「思考回路」を形成する言語が、「母国語」です。そうではない言葉をあとから覚えるのは、どうやってもネイティブにはなれないということになります。

それはどれだけ長期で留学をしたとしても同じことです。留学の期間を問わず、母国語以外の言葉で「ネイティブ」なることはできません。ネイティブとは環境が作り上げるものであり、それ以外ではどうやってもたどり着くことはできないからです。ただ、訓練によってネイティブ並の語学力を身につけることはできます。感覚的にネイティブと同じ発音ができなかったとしても、私たちは「考えること」ができます。現地の人間の発音と、自分の発音の何が違うのかを考えることができるのです。考えることで、何が足りないのか、何がおかしいのかを是正することができます。それによって私たちは少しずつでも自分の発音をネイティブのそれに近づけることができるのです。

ネイティブはそんなことを考えなくてもしっかりとその言葉になっているのですが、後からその言葉を覚えようとするとどうしてもそのように考えることが必要になります。相手が何を言っているのかを母国語で「理解する」ということからはじまり、即座に返事を頭のなかで組み立て、そしてその国の言葉に返事を置き換えて発話するのです。その際も自分の国の言葉ではないので、なるべく丁寧に、相手に伝わるように考えながら発話することになります。

そのようなことを繰り返すうちに、やがてネイティブの人と遜色のない発音、スムーズな会話が可能になります。それは訓練することで実現できることでもあります。訓練することで自然なテンポで自然な会話を行うことができるのです。ネイティブであるということは、文法などは関係なく、感覚としてその言葉を覚えているということです。後から新しい言葉を覚える際には絶対にそのような次元に達することはないので、どうしても「考える」というプロセスが挟まることになります。語学留学などでは、その言葉の環境に身をおくことでその会話の訓練をすることを主目的にしています。その言葉を使うしかない環境に身を置けば、どうしてもその言葉を使うしかなくなります。それによって甘えることがなく、ずっとその言葉の訓練を行うことができるのです。即座に反応して自然な返答をするということは、母国語でない限りそのような訓練によってのみ得られる技能なのです。言語を理解するということと、コミュニケーションをとるということはまったく別のことであるということも、それを通じてわかるのではないでしょうか。