異文化を知り、人を知り、母国を知ること

留学することでその国のことを深く知ることができます。その中で、改めて母国の「良さ」や、それまで意識しなかったことに思いを馳せることができるのです。

誰もが生まれた国を持っています。育った環境があります。それらは意識してもしなくても、自分を育ててくれた「土壌」です。それらは直接的に、或いは間接的に自分に作用しながら、その環境のなかでさまざまなことを考え、生きているのです。私たちはそれぞれが違った信条、違った信念、目標、目的などを持っていますが、それらを得ることができたのも母なる環境があってこそ、成立したものなのです。

私たちは普段そのような事に気がつくことはありません。社会に出て人と交わる中で、人と自分の違いに悩み、トレンドに置いていかれた自分に悩み、人に追いつくためにはどうしたら良いかを悩みます。「他者」がいて、はじめて「自分」がどのようなポジションにいるのか、どのような能力を持っているのかを知ることができます。自分の中だけでの基準であればいいのですが、どうしても他の人とくらべてしまうのです。

海外に留学すると、それと同じことが「母国」に対して起こります。その国の暮らしと、自分が育った母国での暮らし、その国の人々の息遣いと、自分が暮らしていた母国の人々の息遣い、それらの違いが改めてわかるのです。その中で「これは劣っている」と感じたり、「日本人でよかった」と感じたりすることがあるでしょう。それが「自分の国を知る」ということです。国際社会の中でも自分の母国はどのようなポテンシャルを持った国なのか、その中で育った自分は国際的な感覚で言うとどのような存在なのか、やはり勤勉なのか、それともその勤勉さも今では他国に劣っているのかどうかなど、客観的に自分の国を見つめることができるようになるのです。

そのようなことを通じなければ、実は母国のことを客観的に見ることなどできないのです。自分が「普通」と感じていた母国での暮らしは、国際的に見ると異端であったり、例えば住居に靴を脱いで上がることはいいのか悪いのかということであったり、日本はやはり清潔だったとか、様々なことがその国の暮らしを通じてわかるのです。そのひとつひとつの「違い」が、自分とその国の人との違いです。その違いが、「文化の違い」です。

それを乗り越えてコミュニケーションをとる必要があるのですから、海外とのコミュニケーションは難しいのです。だから齟齬が生じたり誤解が生じたりするのでしょう。そのようなことにさえ、日本を出てみなければ気づけなないのです。日本を日本の外から見つめるから、はじめて分かることがあるのです。それに気がついたとき、改めて自分の存在が理解できるというものです。改めて自分とその家族、そして親しい人がどのような姿をしているのかが、実感としてわかるのです。

留学を経て得るものは、ただその国のことだけではないということです。自分が育った国のことさえも改めて理解することができるのです。その経験を通じて自分の国を大切にしたり、その国と自分の国の架け橋としてどう振舞っていくのかと考えたり、さまざまなことが可能になります。ただ言葉を覚えればいいわけではありません。ただ学べばいいだけではありません。肌で感じ取り、納得することが大切なのです。