日本の価値観を忘れないためには

私たちは日本人です。ビジネス上では価値観が大きく変わりつつあり、「日本人だから」とか「アジアだから」などという「地域」に関係する要素は徐々に無視されるようになりつつあります。

国際的な日本の立ち位置は、政治上では語られることが多いものの、ビジネスではいち早くそのような形式に縛られたことが関係なくなってきているのです。情報ネットワークによって、私たちを取り巻くビジネスは国境をなくしました。私たちにとって何よりも重要なのは為替だったり、国際情勢だったりということになりました。海外で発表された新製品をどのようにして日本に取り入れることができるか、世界のどこかで開発された新技術をどれだけ早く取り入れることができるか、逆に日本から世界に向けて発信できる新技術や新製品がどれだけ受け入れてもらえるのかということが、日々の課題になりつつあります。

その中で、私たちは「私たちらしさ」というものがわからなくなりつつあるのです。私たちにとっての「日本」が、ただ生まれ育っただけの国になりつつあります。スポーツなどでは無性に自分の国を応援するのに、日常では日本がどういう国なのか、自分たちはどのような民族なのかという「価値観」を忘れつつあるようです。それが時代の流れというのであれば仕方がないのですが、私たちが暮らす日本がどのようにして発展したか、どのような歴史を歩んできたのかということを、実は日本以外の諸外国の方が知っているということになっている恐れもあります。

昨今国際的に問題になっている、戦時中の日本の非道、戦争責任などについて、自分のこととして捉えることができる人が、今では一人もいなくなっています。それは政治の問題、自分とは関係がない、手の届かない問題であると、今や国民の誰もが棚上げにしているのです。実際に、今を生きる私たちには関係のないことの方が多いのかもしれません。私たちに問われたところで、先人の行ったことですから、何も答えられないかもしれません。ですが、諸外国はそのようには感じません。それは「教育」が違ったからです。

日本がどのような非道で諸外国を脅かしたのか、近隣諸国では私たちよりも詳しく教育を施しているのです。ですから、世代が変わっても、私たちの国が過去に行ったことに対する知識があり、それが国民感情になっているのです。そのような自体が、ビジネスに影響する場合もあります。私たちは弱点である「英語」の教育と同時に、諸外国から反感を買っている「原因」までもあまり教えられないまま成長してしまったのです。

私たちの国が諸外国からどのように感じられているのかを肌で知る良い機会が留学でもあります。実際に国を飛び出して、私たちの国が諸外国の人から一般的にどう感じられているのか、感じることができるからです。そのなかで、新たに学ぶべきこともあれば、完全に「誤解だ」ということもあるでしょう。その誤解をひとりひとりの友人に対して解いていくのは至難の業ですが、やがて社会に出てから国際的にアピールするような動きは考えることができるはずです。そして改めて「日本」はどのような国なのか、私たち日本人はどのような民族なのかを知るきっかけになるのではないでしょうか。