世界はどんどん狭くなっていく

世界はどんどん縮小していきます。それは実際の「規模」が小さくなるということではありません。「広い」ということは、「知ることができない」、「関わることができない」ということでもあります。そのような「広い世界」は、現在一気に狭くなってきています。

私たちが知ることができる世界は、これまでは自分が実際に触れることができる範囲に限られていたのです。ニュースなどで諸外国の事件を見ても、自分の生活には何の関係もなかったことが多かったのです。ですが、日本は諸外国との関わりを欠かすことができない国です。資源に乏しく、食料からエネルギーに至るまですべてを輸入しなければいけないのです。その実態は戦後の発展期、成長期から実は変わっていないのです。ただ、「知らなかった」というだけで、今と変わりはなかったのです。ですが、近年では情報化が進み、手のひらの上で世界の情報を得ることができます。自分に必要な情報を、いつでも、どこにいても、得ることができるようになったのです。

私たちの開発した技術は、社会を溺れるほどの「情報」で溢れるものにしました。私たちはそれらの情報に左右されて生きているのです。私たちはそれらの情報を常に気にするようになったのです。それはすなわち「世界が狭くなった」ということと同義なのです。10年前であれば気にもしなかったことが、現在では一般の人でさえも気になることになり、10年前であれば生活に関係なかったことが、現在では大いに関係のあることになったのです。実際に大きく変わったこともあれば、昔と大差ないこともあります。それでも、私たちはその情報」に対して敏感に反応するようになりました。それによって実際の産業に影響が出ることも多々生じています。

社会を形作るのは、社会を形成するのは、そのような私たちの「意識」とそれによって引き起こされる「行動」です。私たちにとって大切なのは、「取り残されないこと」だったり、「知っている」という事実だったりしますが、近年の情報化はその意識に拍車をかけたようです。次々と発表される新製品、次々と発生する新たなムーブメント。それらに対してどれだけついていけるのかということが、私たちにとっては大切なことになっているのです。私たちはそれほど敏感になりました。

世界はどんどん狭くなっていきます。日本の製品だから、海外の製品だから、日本の文化だから、海外の文化だからという垣根は、この先さらになくなっていくでしょう。ボーダーレスという言葉が、真の意味で実現されつつあります。私たちはどんどん新しいもの、刺激的なものを欲するようになっているのです。それは情報化技術の発達によるものです。

私たちに求められているのはそのような「溢れる情報」の中で自分を見失わないことです。さらに、溢れる情報の中から本当に必要なものを見つけ出すということです。自分が必要だと感じているもの、自分が「欲しい」と思っているもの、それらは誰かに左右されていないかどうか、しっかりと考えることです。そのことで私たちは本当の「そのモノの価値」を知ることができるのです。国際化という言葉はすでに死語です。私たちが直面しているのは、簡単に情報が手に入るという現実です。そこで「何に価値を見いだすのか」ということなのです。