将来の目標を見失わないこと

学生も大変です。学ぶために必要なことがたくさんあります。学ぶために試験を受け、必要であれば住居を変え、自分の将来のために勉強します。ただ、その期間はあまりにも長く、学ぶことが手段なのか目的なのかわからなくなってしまうものです。

やがて誰もが社会に進出します。誰もが社会の一員として活躍できる場を見つけることになります。それは自分が本当に望んだことなのか、それとも仕方がなくその道だったのか、誰にもわかりません。わからないから、人は迷います。それでいいのかと、自分のしたいことと、適性は合致しているのかと、迷うのです。迷わない人はいません。自分の道は本当にそれでいいのか、自分はなにがしたくて学んだのか、ただやりたくもない仕事を淡々とこなすためだけに学んできたのか、上司に叱られるために受験したのかと、頭を抱えるものなのです。

人生の答えなど知っている人はどこにもいません。人生が辛くないと感じた人など、誰もいないのです。誰かに認められたくても、そのようなプレッシャーに撃ち負けてしまうこともあります。いつもできていたことが、人に見られるとできなかったり、誰も評価しないようなところでだけうまくできたり、人は面倒なもので、精神がその行いを左右するのです。「メンタル面」も強くしなければ社会ではうまく立ち回れないということもあるでしょう。ただ真面目に何事にも真摯に取り組むだけでは、どうにもならないことも多いのです。


留学に新しい自分を求めていたとしても、待っているのは他の人と同じような辛い就職活動で、どんな会社に入っても横並びの給与で、何の夢も叶わず、ただ人生淡々と生きていくだけ。などと考えてしまうと、留学そのものの目的がぼやけてしまうのではないでしょうか。社会は厳しいものです。仕事は辛いものです。ただ、だからといって「どうでもいい」、「適当に過ごせばそれでいい」、「学生時代を目一杯楽しんで、必要なことだけこなせばいい」という考えに陥ると、本当に誰ともなにも変わらなくなってしまうでしょう。

自分は「何がしたいか」、「どうなりたいか」、そのようなことは簡単に決められることではありませんが、「とりあえず留学しよう」などということにもならないはずです。ただ自分は生きているだけで精一杯で、そんなに多くは望まないというスタンスは別に間違いではありません。ただ、自分がどうなってもいいということにはなりません。別に必ず目標を持たなければいけないというようなことではありません。自分に必要だと感じたことだけ、こなせばいいのかもしれません。ですが、「留学」においてはただ学生になって学ぶよりも多大な労力と費用がかかるはずです。なんとなく海外に行きたかった、違う環境で楽しみたかったということではなく、自分が何のためにその土地に赴くのかということをしっかりと考えたいものです。社会の辛さは、社会に出てから痛感すればよくて、学生のうちから知ったような顔で「働くということは」などと考える必要はないのです。

留学するということは一定期間その土地に身をおくということです。そこでしか得られないこと、そこでしか知り得ないことなどを知るためのチャンスなわけです。それをただダラダラと過ごすだけでは、もったいないのではないでしょうか。